柏崎 市 事件。 新潟県柏崎市バラバラ殺人事件その3(11/13までの報道): ASKAの事件簿

Sの母親は生命・損害保険の外交員として働いていた。

Sは乗用車で単身移動中、三条市内の農道において下校途中の少女Aを発見し、誘拐を決意。

中学1年の時 、Sは「怖くて学校に行けない」ということでの診察を受けたところと診断される は新潟で行われた
一部では少女Aに対しても「9年2か月もの間に逃げる機会はなかったのか」という疑問が呈され、Aが監禁状態にあるとき、犯人と運命共同体であるかのように錯覚し始め、やがて犯人への共感を示すようになるの状態にあったのではないかとの見方もあった 少女捜索の状況 [ ] 少女Aが誘拐された1990年11月13日19時45分ごろ、Aの母親は「娘が帰ってこないので捜してください」とに捜索願を出した
なおも暴れるSに対し、医師が鎮静剤を注射 弁護人が確認するとやはり「控訴します」と答え 、24日に弁護人がへの控訴手続きを行った
1990年 (平成2年) 11月13日 加害者Sが内で、9歳の少女A(本事件の被害者)を誘拐、柏崎市内の自宅一室で監禁を始める Sが出生した当時、Sの父親(当時62歳)の連れ子には一男一女(ともに当時30歳代、息子はSの母親より年上)がおり 、Sの母親は彼らに対し敬語を使っていた
第一審判決・懲役14年 [ ] (平成14年)1月22日に判決公判が開かれ 、新潟地裁刑事部 (榊五十雄裁判長)は被告人Sに懲役14年の判決を言い渡した 被告は兄の遺体を死後およそ8ヵ月間放置
1、2年目からは暴行の道具として を使用し始めたが、Aは「叫び声を上げたら刺されると思い 」自分の身体や毛布を噛むなどして声をあげることなく耐えた 以後は毎年[(平成3年) - (平成11年)]11月13日、三条署員が当時Aの通っていた小学校や周辺の道路上など 、三条市を含む県央地域で情報提供を呼びかけるチラシを配布する などの活動が継続された
精神鑑定 [ ] 公判前に行われた被告人Sに対する簡易では「Sはおよび強迫神経障害で、は認められない」とされたが 、弁護人は被告人Sが病的な潔癖症であることや、母親が事件発覚の数年前から被告人Sについて精神科に相談していた事実などから「正常な感覚では理解できない、病的な一面がある」「精神状態は正常でなかったと思われる」として 、第3回公判(2000年7月26日) にて精神鑑定の実施を請求した 母親は、どんなに理不尽なことが起きても「私さえ我慢すれば
最高裁判所の判例と相反する判断をしたこと 公判は精神鑑定結果の提出を待って再開され 、再開後の第6回公判(2001年10月16日)で鑑定結果が証拠採用された
遺体は、その部屋の住人である可能性 新潟県警は早期の身柄引き渡しを要求したが 、院長はSが医療保護入院の目的で投与された鎮静剤により昏睡中であることから、「医者は患者の生命と身体を守ることが目的で、継続している医療行為の責任を取らずに警察に身柄を引き渡すことはできない」との判断を下し 、医療優先の方針を伝え、これを了承された
3月4日 新潟地検が未成年者略取・逮捕監禁致傷の罪で被疑者Sを新潟地裁へ 当然のことながら、個人情報保護条例違反であり、この年の3月に開かれた市議会定例会でも、今回と同様に三井田孝欧議員が登壇し、「二度と再びこのようなことが起こらないように、再発防止と処分を重くすべき」と、当時の会田洋市長に質問したが、なぜか、市長からの明快な答弁はなかった